さっきタバコをいに出たときに、玄先で光客の方がガドのおねいさんと「マッサジ屋に行くのにタクシを呼んで、行き先を明して、」のやり取りを助けてきました。感とともに多少かれましたが、はちゃんと通じているわけではありません。
しばらく地で生活すれば、なんとか日常生活できる程度にはせるようになりますし、地名くらいはめるようになります。でもそれは、
1)バンコクなどでは、日本人がすタイ(らしき言)、から、何が言いたいか想像できる人が多い。
2)仕事の同僚やガドのおねいさんなど、普段をしている人は、私のへんなタイが理解できるのと、私が何を求めているかを、言の外で理解してくれる。
だけです。
そもそも、日本人や国人にとって声のある言は、きちんとした教育とかなりのをまないと、ちゃんとせるようにはならないと私は思います(あるいは天性の才能か)。タイでも、r音のあるなしは、ゆっくりしてもらっても、未だに私にはき分けられません(笑)。
ちなみに、郊外の食堂では、ごはん(カオスワイ)すら通じないことも多々あります。

カタカナタイの本もたくさん出ていて、街などではみなさん通じていると思いがちですが、それは相手が一枚も二枚も上手だということでしょう。
京五では、「海外のあるボランティアで通を」と、のんびりしたをしていますが、自分の言いたいことを言う、のでなく、母国しかわからない方に相手の知りたいことを明する、のは、我々のレベルではしい。またそれができる人たちは、ボランティアでは受けてくれないでしょうし、そもそも忙しいのでは?